八日目。

母とは、なぜこれほどまでに鬱陶しい振る舞いをする生き物なのだろうか。

 

 

今夜は事情があり、久しぶりに実家へ泊まる。気が向かなかったけれども、少しの食費と光熱費が浮くことを思い仕方ないと踏み切った。

 

実家へ帰ると遅い夕食の用意がしてあり、母だけが待っていて私の分だけの用意を始める。

 

そして調理中、あの親戚がどうだ、このご近所さんはどうだ、結婚した弟がこうだと、私は全く興味がない、はたまたピンとこない話が続く。

 

いつものことなので、空返事をくりかえす。

 

「うん。ふーん。うん?知らない。」

 

普通なら心おれるところを、私の母は諦めない。

 

「ほら、あの時会ったでしょ、あのおばさんがね…」

 

年に数回愛想笑いをし合うだけの親戚なんて、覚えていないしそれを聞いたところで何も生まれない。

 

「ほら、わからん?あの時ああしてたあの人がさ…」

 

しばらくして耐えられなくなると、私は9割の感情を抑えてこう言う。

 

「それ、聞いてもわからんわ。」

 

普段から感情が表に出てしまいやすい私が9割押さえたところで、漏れ出すものは計り知れない。いや、どこかにある、気づいて欲しい気持ちがそうさせるのかもしれない。ひどく不快そうに私はそう答えた。

 

すると母はこう。

 

「あんた、ほんとに小言が増えたよね」

 

そう。あの「インシデント」が再来するのだ。つまり、

 

「30歳になって、本当に不満が多くなったよね。そんな年齢で独身だったことがないから、あんたの気持ちはわからないけど」

 

そういうことだ。

 

こうなると、もう言い返す術はない。どれだけ言い返したところで、彼女のなかで「既婚者」であることが唯一無二の「正しさ」であるために、私はずっとアウトローでしかない。

 

不愉快極まりない。けども、30歳独身女には、母が知らない辛抱強さと、うまく逃げる術が備わっている。

 

 

自分の食事はとっくに終わって寝る時間が迫っているのに、食卓の向かい側で私が食べ終わるまで待っていようとする。

 

「もう私が知らない人の話はいいから寝て」

 

とは、言わない。

 

一度省みる。

 

【彼女は根っからの主婦で、作った食事を家族全員が食べ終わり、その食器を洗い終えるまでが自らの役割だと思い込んでいる】

 

母の話が一段落した合間に、私はキーを2くらい上げ、食べているものたちを指して言う。

 

「これ、自分で洗うから。」

 

しばらくすると「あ、そう?じゃ、おやすみ」と自室へ向かう。

 

一件落着。

 

 

世の中の「母」達は皆、私の母に同情するだろうか。

 

それでもいい。

 

知り合いの30代独身女性は、こうして親族に最大級のストレスを感じながら過ごす苦しさを理解してくれた。

 

彼女も、我慢して限界まで母の語りに耳を傾けるらしい。

 

 

母と私、どちらが悪いわけではない。

 

どちらも、独立した人間なのだ。

 

違って当たり前だし、一生相容れない可能性もある。

 

そういう部分に気づかずに、娘の態度が悪いだの、娘が不機嫌だの、きっとたくさんの母たちが言っていることだろう。

 

「そんなとき、この言葉を思い出して欲しい」

 

とは言わないから、

 

30歳になった我が子は自分とは別の人間だと言うことくらい認識して欲しい、と私は思う。

 

私たちは結婚を知らないけれども、なんとかうまくやっている。

 

結婚して家庭に尽くす道しか知らない、あなた方のように。